海外駐在:中国でのエピソード

 

西 康弘   2017・6・29

 


2000年から4年間 中国北京に駐在しました。
中国の松下(現 パナソニック)グループの初代広報・渉外担当責任者というのが仕事です。 日本企業がどんどん進出し、事業も拡大し、グループ会社の数が増えていく時期でした。 新会社設立や展示会、社会貢献活動などのプラス面での活動はよかったのですが、製品の品質問題、偽物対策、顧客サービス、従業員問題、環境問題などについて、問題が起きると、 中国のメディアに次々に掲載されるとともに、ネットで炎上拡大していくということでリスク対応が大変でした。


当時の中国メディアは、あるメディアでとりあげられると、何も調べないでそのまま記事を転載するというのが一般的でした。 メディアには少なくともきっちりと事実を確認してもらい、事実に基づいて報道してもらうため、北京・上海・広州の3大都市の有力メディアとよい関係づくりをはかり、メディア交流会や日本招待などを行いました。

 

また偽物対策では、広東省の商工局と連携した偽物取締活動を行い、成果発表会なども開催しました。 こうした地道な活動が、少しづつ効果を上げてきているのを実感していました。これらの活動の多くは現在も引き継がれていると思います。

 

リスク対応で忘れられない思い出があります。 2002年9月に、広東省の工場で事故があり、そのメディア対応で現地出張しておりました。 対策会議で1日終え、ホテルで寝ていたところ、 深夜12時過ぎに、突然北京自宅の家内から私の携帯電話に連絡が入りました。 その日ちょうど、北京の日本人学校の運動会があり、昼食に出た弁当で食中毒をおこし、次々に 病院に運ばれており、妻と小学生の長女も弁当を食べたために、下

痢と吐き戻しが続き、意識を失いかけそうな状況であるとのこと。

 

幸い2才の次女はその日、アイさん(中国人のお手伝いさん)とともに家にいたので運動会に参加せず無事とのこと。 すぐに私がアイさんの自宅に電話して、私の自宅に行ってもらえるようお願いしました。 ちなみにアイさんの家は北京市南西部にあり、私のマンションは北東部にあるので、バスと地下鉄で約2時間かかります。

 

後日、アイさんに聞いた話によると、私からの電話を受けて、すぐにタクシーをつかまえようとしたが、 深夜で全くタクシーがつかまらず、仕方ないので、アイさんの親戚で車を持っている人に電話をし、 その人に私のマンションまで送ってもらい、管理人にカギをもらってあけ、次女の面倒を見、明け方に次女を伴って病院にかけつけてくれたとのことでした。 今でもこのアイさんに本当に感謝しています。

中国駐在以後も、いろいろな中国人と知り合ってきました。
反日暴動や訪日中国人のマナー違反、偽物商品、契約違反など悪いイメージもつきまとう中国ですが、その一方で現在非常に速いスピードで変化する中国からは大変刺激を受けています。 最近中国に出張して新しく3人の中国人と友人になりました。


中国版ラインのWeChatを使って、今後も交流を拡大していこうと思っています。
どんどん変化していく中国とともに自分もさらに成長させていきたいと考えています。