外駐在:ベトナム(ハノイ市)でのエピソード


2017/06/28  中村 光晴


ベトナム国は最近日本企業からの海外進出国として有数となり、皆様も大変親しみを持って頂いている方が多いと思います。私は、ベトナム国ハノイ市に2010年から約4年間駐在していました。現役時代から欧米を中心に多くの海外出張で多くのハプニング、貴重な経験をしてきましたが、駐在は初めてでしかも共産国ということで内心穏やかではなかったんですが、元来の楽天家の性分?も手伝って何とかなるだろーという軽い気持ちで駐在の仕事が始まりました。その中から、以前の日本の生活スタイルの中にも見聞きできた事、全く初めての出来事などご紹介させて頂きます。


日本人にとってベトナム国での日常生活は大変快適な一面があります。
ベトナム人の多くは大変な親日です。日越関係には約1300年の歴史があり、16世紀初めには交易という形で繋がりを持っています。ODAでは、日本が最大の支援国となっています。現在、地下鉄・高速道路・橋・空港といった大きなインフラ整備事業が推進されていて大きく変貌してきています。私が駐在を開始して間もなくベトナム人の優しさ、親切な人柄を感じる出来事がありました。休日となったある日曜日に宿舎の周辺を散策し、地域事情を掴もうと出かけたまでは良かったんですが、夕方近くになり周りが薄暗くなって宿舎に帰る道が分からなくなり迷ってしまいました。方向が分からず、時間が経つうちに不安になって来て思わず道端に面した所で洗車をしいるベトナム人に声をかけました。その頃はベトナム語が全く分からず(地図だけ持っていた)どのように声をかけたのか今では分かりません。


とにかく宿舎に帰りたいという一心でした。洗車していた方が色々道案内をしてくれるんですが、こちらは良く分かりません。その事が私の表情に表れていたんだと思います。最終的に息子さんを呼び、バイクを出させて宿舎まで送ってくれました。


勿論、無料でした。本当に有難くベトナムの方の親切さを肌で感じた次第でした。

 

ベトナム人には、日本の一部で忘れられた大家族主義的な所があります。その一例をご紹介します。 ベトナムでは、日本の旧正月にあたる日が新年を迎える事となります。


その新年を迎え、リーダクラスと新年会を行い親睦を深めたいと思いあるリーダに声掛けしました。勿論、プライベートです。日程を決めて場所は土地勘のあるリーダに任せていましたが、ある日リーダから部下も呼んでいいかとの問い合わせがあり、その頃は30名程度の職場ということもあり、気軽に“いいよ!”と返事しました。


そして当日が来て新年会のあるレストランに行ってもうびっくりです。多くの子供、そして友達、兄弟、恋人がおよそ100人程度集まっています。今更、帰るようにというわけにもいかず、内心、懐を心配し宴会が終わって無事に帰れるか?と不安になりながら注がれるお酒にも全く酔えません。出席のメンバーは、鍋料理をつつきながらビール、ウオッカで盛り上がって賑やかに過ごしています。さてさて、一応宴会も終わり、支払いをする段階で料金を確認して見てなんとか胸をなで下ろす事ができました。持っていた現金(通貨は、ベトナムドン。クレジットカードは使用不可)でなんとか支払う事ができ一安心しました。

 

ベトナムでは、結婚して親と同居するケースが多く見られます。また、故郷の両親と生活したいということで会社を退職するというケースも多くあります。日本では、あまり見られなくなった大家族主義が色濃く残り、大変家族間での絆には深いものがあります。

 

地震の事にも触れてみたいと思います。ベトナム、タイ等の国では、地盤が固くほとんど地震はありません。そのため建築している建物を見ると柱は細く、高速道路の橋脚にしても大変細く作られているのを見かけます。日本のこれらを見ているととても不安になります。私が駐在開始して間もない日曜日の午前中の出来事でした。

 

部屋で休んでいると突然ユラユラと揺れ明らかに地震と分かるものでした。私は、軽い揺れということでベト

ナムでも地震があるんだなあ~と呑気に構えていましたが階下の方で何やら騒ぐ声が聞こえてきました。思わず、窓から階下の空地を見ると大勢の方が集まり何やら騒々しい雰囲気となっていました。

 

やはり、どこにいてもリスクマネジメントは大事な事と改めて感じた次第です。