忙中閑あり

海外勤務の思い出 目次



海外駐在:中国勤務でのエピソード


2017/7/13  曽根 成典

私の中国勤務は、2007年5月から2012年7月まで。
従って、中国の日々変革を考えると、私の下記経験・体験は、今日の中国全土情勢とは異なるものがあり、地域的にもかなり変化していると思われる。

勤務地:江蘇省南通市郊外。宿泊は、南通市内のホテルで、タクシー通勤。
    南通市は、上海から南京への高速道路にて、揚子江を渡ったすぐの
    人口約100万都市。
    域内には、造船・鉄工・鋳造・服飾縫製・飲食品製造・製紙 等の企業が多く、
    総合大学を含む教育機関も多数あるため、若者が多い活気ある地方都市。
勤務企業:鋳造品を主に機械加工する日中合弁私企業。従業員30名。
日本側:商社、75%出資。中国側:鋳造(鉄・アルミ)会社、25%出資。
業務:日本側商社員として、合弁企業の全般管理。役職なし。
   常駐ではなく、毎月1~2週間滞在し、技術・品質・納期・経営状況等の把握。

浦東空港から南通市へ
 2007年5月、広大な上海浦東空港に到着。中国大陸には、初上陸。
 晴れているのか、曇り空なのか、とにかく雨は降っていない。これが中国の大気汚染
 なのか。
 薄汚れた空港(2年後に改装・第2発着棟増築)を白タクにて南通市に向かう。
 空港から上海市街を抜けて、揚子江までは高速道路にて、比較的快調。
 揚子江をフェリーにて渡河、約5km、40分。(2年後には、上海-南京 高速道路の
 大橋が完成、約1時間の短縮。)
 フェリー下船後、凹凸の激しい地道を揺られて南通市街のホテルに到着。
 この間約250km。3時間30分。日本ならば、ゆうに太平洋岸から日本海岸に出て
 いる。
 車窓からは、上海市内及びその郊外に建築中の高層マンションが多く、特に郊外では、  30階・40階の同型マンションが10棟単位で同時に建てられており、投資規模に驚く。
 上海一帯は、地震が無い地方であり、基礎工事には予算を要しない利点はある。
 完成しているマンション群を夜見ると、窓にあかりが見えるのは、各階一つ程度。
 いかに人口の多い中国、上海近郊であっても全戸売却できるのであろうか。2010年
 には、タワークレーンの稼働停止が散見された。北京オリンピック・上海万博の後で
 ある。
 上海から南通市の間、広大な平地で、荷役船用の巾の広いクリーク、水田が広がり、
 至る所に集落・民家が見られる。上海からの250kmは、中国全域からすれば点のよう
 な存在。こんな地でよくも戦争をしかけたものだ。

南通市の2流ホテル
 ホテルは、古い2流ではあるが、ダブルベッド・浴槽付バス(シャワー金具損傷が
 多い)テーブル・椅子・デスク 等一応の必要な備品はついている。
 水は飲めないとのことで、スーパーまたはコンビニにペットボトルを買い出し。
 ホテルも準備してくれているが、小さいのが2本で、お茶を好む私にはとても1日分に
 足りない。
 ペットボトルの水も怪しいものが多いとのことで、冷水としては飲まず、沸かして
 飲む。湯沸器は、ホテルが各部屋に備えている。トイレは水洗になっているが、ホテル
 でも会社でもペーパーを流さない。処理装置・施設が不備。便器の横にごみ箱が設置し
 てある。

言葉
 英語・日本語を話せる中国人の割合は少なく、標準語(北京語)が主であるが、地方語を
 使うことも多い。地方語は、書けば同じ漢字表現であるが、発音が全く異なる。
 南通地方では南通語があり、揚子江ひとつ隔てた上海語とは似つきもせず、上海人が南
 通語をマスターするのに多年を要するという。従って、南通人同士の南通語による会話
 は、他地域からの中国人にも全く理解できないとのこと。TVには、漢字のテロップが
 表示されている。

国民性
 鄧小平の経済改革以来の急速な経済発展で、文化革命時に不遇を受けた世代の2世
 (1960年代以降生)が経済社会のリーダーとなり、地方の社会を動かしている。
 家・車が金満家のステータスで、マンションを各地に持ち、車を数台所有する者も
 いる。当然、社会の裏も活発な活動で、全て金でかたをつける。
 就学・就職・土地取得・事故処理等種々の便宜。従って、なんとかして金持ちになろう
 と努力する人が多い。努力が悪事になる場合も多々あるとのこと。
 地方から出稼ぎの農民工は、制度上都市住民にはなれず、金が無い故の悲哀で格差社会
 を彷徨うことになる。日本への中国人観光客にみられたように、マナーの悪さは当然
 ながら中国国内でも同じである。全ての中国人ではないが、以下は多い例。
 ・タバコは同席するもの皆で吸うもので、他人に与える際に隣の席にも投げ与える。
  書類しかり。
 ・他人のPCのパスワードを見て(10桁程度の数字はすぐ覚える)、メール・データ等
  を盗み見る。個人用の引出しは、鍵を壊してでも開ける。
 ・借りると言わずに、他人の物を使い、返さない。

大多数の中国国民がまじめに働くなか、拡大しきった格差社会の経済が今後どのように変化するのか。現状の中国政府の施策、特に外国投資による企業運営の損得について、十分な検討が必要である。

海外駐在:中国でのエピソード


2017/06/29  西 康弘

2000年から4年間 中国北京に駐在しました。
中国の松下(現 パナソニック)グループの初代広報・渉外担当責任者というのが仕事です。 日本企業がどんどん進出し、事業も拡大し、グループ会社の数が増えていく時期でした。 新会社設立や展示会、社会貢献活動などのプラス面での活動はよかったのですが、製品の品質問題、偽物対策、顧客サービス、従業員問題、環境問題などについて、問題が起きると、 中国のメディアに次々に掲載されるとともに、ネットで炎上拡大していくということでリスク対応が大変でした。
当時の中国メディアは、あるメディアでとりあげられると、何も調べないでそのまま記事を転載するというのが一般的でした。 メディアには少なくともきっちりと事実を確認してもらい、事実に基づいて報道してもらうため、北京・上海・広州の3大都市の有力メディアとよい関係づくりをはかり、メディア交流会や日本招待などを行いました。
また偽物対策では、広東省の商工局と連携した偽物取締活動を行い、成果発表会なども開催しました。 こうした地道な活動が、少しづつ効果を上げてきているのを実感していました。これらの活動の多くは現在も引き継がれていると思います。
リスク対応で忘れられない思い出があります。 2002年9月に、広東省の工場で事故があり、そのメディア対応で現地出張しておりました。 対策会議で1日終え、ホテルで寝ていたところ、 深夜12時過ぎに、突然北京自宅の家内から私の携帯電話に連絡が入りました。 その日ちょうど、北京の日本人学校の運動会があり、昼食に出た弁当で食中毒をおこし、次々に 病院に運ばれており、妻と小学生の長女も弁当を食べたために、下痢と吐き戻しが続き、意識を失いかけそうな状況であるとのこと。
幸い2才の次女はその日、アイさん(中国人のお手伝いさん)とともに家にいたので運動会に参加せず無事とのこと。 すぐに私がアイさんの自宅に電話して、私の自宅に行ってもらえるようお願いしました。 ちなみにアイさんの家は北京市南西部にあり、私のマンションは北東部にあるので、バスと地下鉄で約2時間かかります。
後日、アイさんに聞いた話によると、私からの電話を受けて、すぐにタクシーをつかまえようとしたが、 深夜で全くタクシーがつかまらず、仕方ないので、アイさんの親戚で車を持っている人に電話をし、 その人に私のマンションまで送ってもらい、管理人にカギをもらってあけ、次女の面倒を見、明け方に次女を伴って病院にかけつけてくれたとのことでした。 今でもこのアイさんに本当に感謝しています。

中国駐在以後も、いろいろな中国人と知り合ってきました。
反日暴動や訪日中国人のマナー違反、偽物商品、契約違反など悪いイメージもつきまとう中国ですが、その一方で現在非常に速いスピードで変化する中国からは大変刺激を受けています。 最近中国に出張して新しく3人の中国人と友人になりました。
中国版ラインのWeChatを使って、今後も交流を拡大していこうと思っています。
どんどん変化していく中国とともに自分もさらに成長させていきたいと考えています。

雲崗石窟
      (写添付真: 2003年11月  世界遺産 雲崗石窟にて)

海外駐在:インドネシアでのふたつのできごと


2017/07/08  佐藤 純一郎

シニアの方なら兼高かおるをご存じでしょう。
昔パンナムがスポンサーの「世界の旅」という番組をやっていましたね。
80歳を超えた今でも世界を飛び回っているらしいですが彼女が「海外旅行をすると必ずアクシデント、ハプニングがある。それを自力で克服することで自信がついて人間、成長するのだ」と言っていました。
私も現役時代は何十回の海外出張、3年間のシンガポールでの駐在生活をこなしましたが
今無事に日本で暮らしているということはこの言葉通り幾多のハプニングをこなしたということでもあります。中には「命も・・・ヤバイ?」という経験もあったのですが、まず
ひとつインドネシアでの出来事をご紹介します。
シンガポール駐在時にタイとインドネシアに出張した際のこと。
すべての予定を終えて金曜日夕刻ジャカルタの空港でいざチェックインしようとしたが航空券がどこを探しても出てこない(当時はeチケットではなく紙のチケットなのでパスポートさえみせればOKというわけにはいかない)。
航空会社に相談すると「航空券の再発行には警察の紛失証明書が必要」とのことでしかも
警察は空港ターミナルの外とのこと。しょうがないと覚悟を決めてタクシー乗り場に向か
おうとすると途中でターミナル内に警察のカウンターを発見。
藁にもすがる気持ちで7万ルピアを示して(ご存じのようにインドネシアはワイロ天国)
訳を話すと「Yes sir!!」と嬉々として証明書を発行してくれた。
7万ルピアが効いたのだろうがちなみに日本円では500円ほど・・・。
搭乗時間ぎりぎりに全ての手続きを終えて無事搭乗という顛末でした。機内で呑んだビールのうまかったこと・・・。
人間、追い込まれれば覚悟を決めてアクションもできるし、また天も味方してくれるということでしょうか、「追い込まれたが最後に逆転して事なきを得た」これに類した出来事にはこと欠きませんでした。
さて、仕事上印象に残っていて今でも肝に銘じていることにも触れましょう。
当時、公共下水が普及していないインドネシアで日本製浄化槽の事業化プロジェクトに関わっていました。インドネシア側のパートナーは半官半民の下水道事業公社で、ジャカルタでの実証実験からスタートしたのですがこのときに同社の担当役員から最初に言われたのは「インドネシアで事業をする場合まずはインドネシア企業と信頼関係を築くこと。最初から功を急ぐのは日本人の悪い癖。嫌われて何事もできない」というものでした。
本社に報告するたびに「で、いつから売れるんや?」と返されるのはいうまでもなかった
ですが幸い会社の運命を決するほどの大プロジェクトでもないし日本環境省との共同プロ
ジェクトでもあったのでのらりくらりのペースを守れました。
途中、下水道事業公社の縦割り組織や各人の責任感の希薄さから「総論賛成でもいざ契約
となるとなかなかコトが進まない」悲哀を何度かあびたものの、この言葉を肝に銘じて根
気よく対応した結果実証実験は遂行でき、且つまたこの役員の人脈を活かして多くの政府
関係者に人脈も広がり製品のPRの機会も得てこのプロジェクトは一定の成果を得ること
ができました。
「事業パートナーと信頼関係を築くこと」の大切さ・・・これはビジネスを進めるうえで
洋の東西を問わずどこでもどんな事業でも言えることではないでしょうか。

ジャカルタ調整池  ジャカルタ独立記念塔
   ジャカルタ調整池         ジャカルタ独立記念塔

海外駐在:ベトナム(ハノイ市)でのエピソード


2017/06/28  中村 光晴

ベトナム国は最近日本企業からの海外進出国として有数となり、皆様も大変親しみを持っ
て頂いている方が多いと思います。
私は、ベトナム国ハノイ市に2010年から約4年間駐在していました。
現役時代から欧米を中心に多くの海外出張で多くのハプニング、貴重な経験をしてきまし
たが、駐在は初めてでしかも共産国ということで内心穏やかではなかったんですが、元来
の楽天家の性分?も手伝って何とかなるだろーという軽い気持ちで駐在の仕事が始まりま
した。その中から、以前の日本の生活スタイルの中にも見聞きできた事、全く初めての出
来事などご紹介させて頂きます。
日本人にとってベトナム国での日常生活は大変快適な一面があります。
ベトナム人の多くは大変な親日です。日越関係には約1300年の歴史があり、16世紀初め
には交易という形で繋がりを持っています。ODAでは、日本が最大の支援国となってい
ます。現在、地下鉄・高速道路・橋・空港といった大きなインフラ整備事業が推進されて
いて大きく変貌してきています。私が駐在を開始して間もなくベトナム人の優しさ、親切
な人柄を感じる出来事がありました。休日となったある日曜日に宿舎の周辺を散策し、
地域事情を掴もうと出かけたまでは良かったんですが、夕方近くになり周りが薄暗くなっ
て宿舎に帰る道が分からなくなり迷ってしまいました。
方向が分からず、時間が経つうちに不安になって来て思わず道端に面した所で洗車をして
いるベトナム人に声をかけました。その頃はベトナム語が全く分からず(地図だけ持っ
ていた)どのように声をかけたのか今では分かりません。
とにかく宿舎に帰りたいという一心でした。洗車していた方が色々道案内をしてくれるん
ですが、こちらは良く分かりません。その事が私の表情に表れていたんだと思います。
最終的に息子さんを呼び、バイクを出させて宿舎まで送ってくれました。
勿論、無料でした。本当に有難くベトナムの方の親切さを肌で感じた次第でした。
ベトナム人には、日本の一部で忘れられた大家族主義的な所があります。その一例をご紹介します。 ベトナムでは、日本の旧正月にあたる日が新年を迎える事となります。
その新年を迎え、リーダクラスと新年会を行い親睦を深めたいと思いあるリーダに声掛け
しました。勿論、プライベートです。日程を決めて場所は土地勘のあるリーダに任せてい
ましたが、ある日リーダから部下も呼んでいいかとの問い合わせがあり、その頃は30名
程度の職場ということもあり、気軽に“いいよ!”と返事しました。
そして当日が来て新年会のあるレストランに行ってもうびっくりです。多くの子供、そし
て友達、兄弟、恋人がおよそ100人程度集まっています。
今更、帰るようにというわけにもいかず、内心、懐を心配し宴会が終わって無事に帰れるか?と不安になりながら注がれるお酒にも全く酔えません。出席のメンバーは、鍋料理を
つつきながらビール、ウオッカで盛り上がって賑やかに過ごしています。
さてさて、一応宴会も終わり、支払いをする段階で料金を確認して見てなんとか胸をなで
下ろす事ができました。持っていた現金(通貨は、ベトナムドン。クレジットカードは使
用不可)でなんとか支払う事ができ一安心しました。
ベトナムでは、結婚して親と同居するケースが多く見られます。また、故郷の両親と生活
したいということで会社を退職するというケースも多くあります。日本では、あまり見ら
れなくなった大家族主義が色濃く残り、大変家族間での絆には深いものがあります。
地震の事にも触れてみたいと思います。ベトナム、タイ等の国では、地盤が固くほとんど
地震はありません。そのため建築している建物を見ると柱は細く、高速道路の橋脚にして
も大変細く作られているのを見かけます。日本のこれらを見ているととても不安になりま
す。私が駐在開始して間もない日曜日の午前中の出来事でした。
部屋で休んでいると突然ユラユラと揺れ明らかに地震と分かるものでした。私は、軽い揺
れということでベトナムでも地震があるんだなあ~と呑気に構えていましたが階下の方で
何やら騒ぐ声が聞こえてきました。思わず、窓から階下の空地を見ると大勢の方が集まり何やら騒々しい雰囲気となっていました。
やはり、どこにいてもリスクマネジメントは大事な事と改めて感じた次第です。

ベトナム交通状況  ベトナム ストリートレストラン
  ベトナム(ハノイ市)での交通状況     ベトナム(ハノイ市)のストリートレストラン










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